黎夕・本文サンプル・林々 「お妃様の保健体育」 |
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「なにを熱心に見ておる」 「きゃっ」 本を見ていた視界に、ぬぅっと張老師の顔が現れて、夕鈴は不意を打たれて飛び上がった。 「び、びっくりするじゃないですか」 「なにを読んどるんじゃ」 「……ここの棚にあった本ですよ。何の本かと思って」 「ほー」 と、老師も本を覗き込む。 「何の本じゃ?」 「古いお菓子の手順書でした。後宮にこんな本があるなんて……昔のお妃様は自分でお菓子作ったんですか」 「いや」 即答で否定の言葉が返ってきて、夕鈴は微妙な表情で老師の顔を見返す。 「自分で作る者はおらんかったが、作らせるのに取り寄せたんじゃろ」 「これを作るようにって?」 「後宮は数多の花の競う場所よ」 老師は意味ありげに、にやにやと笑う。 「競うのは美しさ賢さだけにあらず、腹を如何に美味で満足させるかも重要じゃ」 そう言われれば、納得はできた。 要は食べ物で男を釣るということだ。夕鈴自身も、今、争う者はいないまでも同じことを考えている。 黎翔を喜ばせたい、というのは、そういうことだ。見返りがほしいわけではないけれど、することは同じ。 「じゃあ、他にもいっぱい、こんな本があるんですか」 「見たことないかの?」 「全部の部屋に入ったことがあるわけじゃないので」 「ふむ、書庫があるんじゃがのぅ」 「書庫」 王宮の書庫には行ったことがあるので、夕鈴はそれを思い浮かべた。 夕鈴の考えていることがわかったかのように、老師は続けた。 「王宮の書庫ほど大きなものではないが、取り寄せた本を仕舞っておく場所は必要じゃからの。用が済めば人目に触れぬように処分してしまう妃もおったが、こだわらぬ者もおったしのー。ここに残っていたのは、誰かが置き忘れてそのままになったんじゃろ」 そして後宮から人がいなくなり、本だけが残った……と思えば、かつてはこの部屋も使う者がいたのだ。 夕鈴はそんなこともちらりと思い、本に改めて視線を落とした。 そして考える。 王を喜ばせるために取り寄せられた本の中には、夕鈴が今求めているような『指南書』もあったのではなかろうかと―― 「書庫って、どこに」 「興味があるかの?」 老師が瞳を輝かせて夕鈴の顔を覗き込む。 なにを求めているのかを悟られたくなくて、夕鈴は顔を背けた。ら、その向けた先には、いつの間にやら浩大がにやにやと笑っていた。慌てて浩大から顔を背けて、結局老師の方に顔を戻す。 「……へ、陛下のお好きなお菓子を作りたいんです」 嘘じゃない、嘘じゃないと自分に言い聞かせて、夕鈴は努めて冷静に興味のある理由を述べた。 気持ちの悪いくらいに喜色満面な老師の顔を、夕鈴は真意を悟られないように睨みつけた。 「うむうむ、妃の勤めじゃのー」 「にやにや笑わないでくださいっ。政務で疲れた陛下の喜ぶものを用意したいって変ですか」 「そんなことは言っておらん。じゃが、書庫には怪しい噂があっての」 「怪しい噂?」 「出るんじゃ」 出る……と言われて、一瞬本当になにが、と夕鈴は首を傾げた。虫だろうか、と、顔を顰める。しかし書庫に虫が出るというのは、別の意味で大問題だろう。 「ついて行っても良いがの、どうする」 「結構です、場所さえ教えていただければ」 老師について来られたら、捜し物が自由にできない。断固拒否の意思を示すつもりで、夕鈴は首を振った。 「ついて行ってやろうとゆーのに」 「結構ですっ!」 「雪椿」頁へ 目次へ |